ドンレミーのダックワーズサンド食べてみました&心が苦しくなるのは自分という存在があるからだと思ったという話

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来ていただきありがとうございます。

月初めにスーパーに行くのが本当に楽しみです。お目当ては月初めに発売されるチルドスイーツと菓子パンコーナーです。

今月は美味しそうなスイーツがたくさんで、買うのが楽しみです。

今回はドンレミーのダックワーズサンドを食べてみました。

 

 

上には粉糖がかけられています。

生地はねっちりサックリ感の両方があってとても面白いです。

中にはキャラメルのクリームとムースみたいなものも入ってます。

味はキャラメルの香ばしい風味のある甘さがとってもおいしいです。キャラメルは苦さはなくて、森永のミルクキャラメルみたい。

中には砕かれたアーモンドも入っていて、カリカリととてもいい食感のアクセントになっていました。

個人的にはもうちょっとクリームが入ってくれたほうが好きなのですが、もっふりな生地が好きな人は生地をしっかりと味わえるので満足度が高いと思います。

雑談です

図書館から、超訳ブッダの言葉という本を借りてきました。

様々な仏教の経典の一部を人生訓的な感じで短く現代語訳されていてとてもわかり易い本です。

たとえば、

君は、これまで君の心が思ったことの集合体

君という存在は、過去に「何を考えたか」によって、その考えたり感じたりした内容が、一つ一つ心に蓄積されミックスされた結果のつぎはぎとして、今、ここに立っている。

 すなわち、君とはこれまで君の心が思ったことの集合体。

という感じで、経典が短く現代語訳されています。

読めば、人生が楽になる考え方が身につく本というわけではなくて、どちらかといったら、自分をどう飼いならすかの考え方や思考法です。

で、思ったんです。

結局、心が苦しいと思うのは、自分という存在があるからなのだなーと。

たとえば、人から怒られたり、お金がなくなったりすると、「苦しいな」「辛いな」って思うじゃないですか。

でも、人から怒られたり、お金がなくなったっていうのは単なる現象であって、「苦しいな」「辛いな」っていうのは自動的に心や脳が出力した感情や思いなんですよね。

だから、私という人間は自分の内が発する感情や思い、雑念の出力した結果を受けて、勝手に落ち込んだり怒ったり行動しているわけです。

さらに、自動的に延々と同じ考えが頭を回ってしまう。

結果、精神がぐったりと疲れてしまう。

つまり、自分を苦しくしているのは単なる現象に意味づけしてしまう自分自身の感情なわけです。

ここから救われるには手っ取り早い方法としては自分を消すのが一番だと思ったのですが、そんなのは嫌です。困ります。

おこがましいですが、ブッダも大なり小なり同じような感じだったらしく、本には、「内省しましょう」「瞑想しましょう」と自分の中を見つめ続けることを説いている。

要約すると、自分を見つめ、コントロールしましょうだと思うのですが、それには段階が必要だなと思っています。

まずは、「あ、怒っている」「あ、遊びに行きたいと思っている」と自覚をする。今度はその思いや感情をまるで他人を見るかのように、見つめ続ける。

そして、自分と感情を切り離し、どのように行動するのがベストなのか考えて行動する。

こんな感じで、まず、感情や思いを自覚し、さらに、客観視することでやっと少し自由になれる。

でも、これができたからといって、ベストな行動ができるとは限らない。

感情というのはそれほどまでに大きなエネルギーだと思います。

調子がいい時は客観視できて、行動もできるのですが、ホルモンバランスや体調とかの影響もあるし、やっぱり感情のエネルギーの強さに負けて完全にコントロールはできないですね。

未熟なもんでね、怒りたい時に怒るし、怯えてしまう時は怯えるし、強迫観念に支配されて変な行動する時もあるし。

 

しょうがないですよ、この世に生まれてきたってことは悟ってないってことですから。

悟ろうが悟るまいが、死後の世界はあるのか、なかったら?とか思ったりしますが、そこまで知りませんよ。

でも、悟ったとしても肉体という枷がある限り、肉体由来の苦痛や欲というのは生まれるでしょうから、やっぱり何かしらは多少は苦しいんじゃないですかね。

仏教では悟りを開くまで輪廻転生をくり返します。悟りを開いたら、極楽浄土で完全に救われるから大丈夫と思ったら甘い。

小乗仏教での輪廻転生の終了は自身の完全消滅。いわゆる宝石の国(仏教をモチーフにしたSF漫画)なわけです。そこまで私は望んでない。