脳梗塞の後遺症で認知症と失語症になった父の退院後の話

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父が脳と心臓の梗塞で退院となったのは9月12日。弘前市の百貨店のさくら野で北海道展が始まる日である。

この北海道展をとても楽しみにしていたのだが、行くことができなくなり、私はとても悔しいと思いながら、父を病院へ迎えに行った。

ちなみに、父は40代の頃に心臓病を発症し、以後大腸がんや2回の脳梗塞などを経た。

今回は内臓から出血し入院。その後、入院先の病院で今回の脳梗塞の発症となった。

発見が遅れてしまったため、認知症と重度の失語症となった。要介護3の判定である。 

 

退院から2週間ばかしが過ぎた。

父は兄が出勤すると、おもむろに起きてくる。

何を行っているのかもちろんわからない。簡単かつ単純な単語を発することはできるが、長文になると、昔のテレビの地上波のノイズ映像で流れてくる雑音のような意味のない音の羅列である。

発症前はテレビが好きで、1日中、スカパー!で大好きな演歌、戦争ドキュメンタリーやドラマ、残酷な感じの映画、吉田類や孤独のグルメなどを眺めていた。

リモコンが唯一無二の親友で、スカパー!の電波に雁字搦めに囚われ、テレビの前から離れることができない日々だった。

退院後もそれは何も変わらない。変わったことがあるとすれば、込み入った内容を理解できないことと唯一無二の親友であったリモコンを操作することができなくなった。

込み入った話は理解できないので、父が元気だった時に録画していた吉田類と演歌を鬼リピしている。

違う番組を見たい時は母を呼び変えてもらう。それが結構頻繁である。

それ以外にも変化はある。

薬の管理は自分ではできず、いつにどれをどのくらい飲むのか判断できない。

食事の時は喉に物を詰まらせないように、横についていないといけない。食後はよだれをびよーんと垂らす。

そして、道具を正しく使えないことがある。

父は退院後すぐに、髪をバリカンで刈りたくて、バリカンを引っ張り出したが、コンセントに繋ぐことも、組み立てることもできない。

私が手伝って、電源を入れるが、バリカンでひげを剃ろうとしてしまう。

バリカンの音と形が髭剃りに似ているため、体が勝手にヒゲを剃ってしまうように私には見えた。

結局、自分で頭を刈ることはできなかった。

そういえば、退院前にリハビリの人には、「刃物はそばに置かないでください」と念を押された。

私と母はもちろん、頷いた。

ある日のことだった。

父は家の外に出て、蔵から鎌を取り出した。湾曲したギザギザの刃がついているから、誰が見てもご立派な刃物である。

私と母は冷や汗をかいたが、本人は決して手放さない。肉体的な力は老人とはいえ、成人男性である。

過去に激痩せして、体力が衰えた私では鎌を取り上げることはできない。

父は家の中の雑草が気になって仕方がないのだ。

私は母に、父の手袋を持ってきてもらい、私も自分の手袋をつけ、鎌を持ち、一緒に草刈りをすることにした。

父に手袋をはめさせようとするが、なぜか父は手に持っていた鎌を手袋に突っ込んでしまう。

リハビリの人が言っていた刃物を持たせるなを身を持って理解した。これがポケットだったら、体が傷つく可能性がある。

父は薬の副作用で出血したら、血が止まらない。出血させるわけにはいかない。

鎌を放させようとすると嫌がって放さないし、なぜ取り上げようとするのかと怒る始末だ。言葉は何を言っているかわからないが、ずっと一緒に暮らしてきたから、態度でわかる。

何度も手袋を手にはめましょうと説明し、本人もやっと理解できたようで、手袋をはめた。

鎌で草を取るもしくは手袋をはめるという動作はできるが、手に持った鎌を脇に置いたりして、手袋をはめるという込み入った動作は全くできない。

正直、デイケアに行かない日は1日中、父と接することになるので、母は特に余裕がない。

だが、父と母は事前に医師から、「心臓の中に血栓があるので、心臓から出たら体の何処かが詰まります」と告知されていた。

告知の時、私は家にいたので、この話は母から聞いた。

それはさておき、つまり、避けることはできなかった。

足が詰まったら、切断だと言われた。もし、足が詰まったら、築100年超えの段差だらけの我が家だから、生活することは困難だ。

父の退院後も病院に行ったり、あれだこれだで、ブログの更新も昨日と一昨日できなかったのだが、これからもこういう日はあると思う。

ただ、ありがたいこともあって、これで良かったと思う。

ある方の旦那さんは脳梗塞で、短気になって、とても大変だというのだ。これでは一緒に暮らしていて、気が休まらない。

父は短気ではなく、温厚だ。

病院でも長時間待つことができる。

そういえば、私は心臓の血栓の存在を伝えられた時、私の地元青森県津軽地方で一番の神社とされる岩木山神社があるお岩木様(岩木山のこと)に向かって、祈ったのだ。

いい感じにしてくださいと。

この時、何が正解なのかわからなかったので、ざっくりとした願いとなった。

神がいるかどうかわからないが、いるのなら叶ったのだと思う。

なぜなら、父が脳梗塞を発症したのは内臓の出血からの退院の日にちが決まり、それをお山様を拝むついでに報告した数日後だったからだ。

私はウキウキで、「お父さん退院したら、カレー作ってあげるの」と拝むついでに報告した。

父が発症したのは退院前日の日だった。「治療はできないので、このまま天国行きの可能性もあります」と伝えられた。頭を殴られたような衝撃だった。

父には申し訳ないが、退院後に脳梗塞になった場合、「そういえば、入院前も寝坊してたよなー。今日もだよー。夜中ずっと起きてるからさ」で終わらせて、放置していた。

脳梗塞とは、血管が詰まることにより、脳が破壊されていく病気である。破壊が100%達成された暁に待っているのはやっぱり天国である。

今、思い出したが、私は正月、父が亡くなる夢を見ていた。ただ、思い出したことを書いただけで、別に意味はない。

そういう意味では、父の命は助かったといえるのだ。現在、決して健常ではないし、現在もリスクはあるが、一緒に暮す分には他の脳梗塞の後遺症の人と比べたら悪くはないと思う。

身内を泥棒呼ばわりするわけでもなく、怒りまくるわけでも徘徊しまくるわけでもない。温厚そのものである。

疲れるのは疲れるけど、一緒に暮らしていてマジで精神的にしんどいというシチュエーションは現在ないのである。

何を言っているかわからないが、言うタイミイングもシチュエーションも入院前と同じなので、大体、言いたいことがわかるのだ。

だから、これでいいのである。