少し肌寒くなるとおでんが食べたくなりませんか?
普段、何気なく食べていますが、想像以上に長い歴史があり、元々は今のような鍋料理のようなものでもありませんでした。
この記事ではおでんの名前の由来や歴史を紹介します。
おでんの起源と語源
おでんの起源
おでんは田楽から変化した食べ物と言われています。田楽は拍子木切りにした豆腐を串に刺して、味噌を塗って焼いた食べ物で室町時代に誕生したとされます。
田楽は元々、豊饒祈願のための楽舞で一本の竹馬に乗って踊ります。その様子と串に刺された豆腐の形が似ていたことから、田楽と名付けられました。
なお、田楽の原型は平安時代にはあり、この時代はまだ味噌が貴重品及び粒状だったため、豆腐に塩を振って焼いたものが食べられていたそうです。
焼いたものを焼き田楽、煮込んだものを煮込み田楽と言っていましたが、江戸時代になって煮込んだものをおでんというようになりました。
おでんの語源
おでんの語源は室町時代の宮中に仕えていた女性たちが使い始めた女房詞(にょうぼうことば)です。
田楽におをつけて、お田楽(おでんがく)の楽が省略されて、「お田」となり、その言葉が庶民へと広まりました。
最終的に江戸時代におでんという名前になったといわれています。名前としてのおでんの完成は江戸時代ですが、料理としての完成形は構成になってからです。
おでんの歴史
室町時代〜安土桃山時代
田楽が誕生した時代です。この時代にすり鉢が日本に伝来することにより、粒味噌をすりつぶした味噌が食べられるようになり、味噌汁などの味噌料理が登場。
また、大豆生産を増やす政策によって大豆の生産量も増え、現代に伝わる味噌料理の多くの原型が作られたのもこの時代です。
そのうちの一つとして誕生したのが味噌田楽で、拍子木切りした豆腐に味噌を抜いて焼いたもの。
戦国時代になると田楽は広く普及し、利休百会記(りきゅうひゃっかいき)にも記述があります。
江戸時代
寛永時代には味噌田楽に菜飯をつけたものが流行したそうです。その後、こんにゃくの田楽が登場し、おでんというようになりました。
こんにゃくの田楽は湯で温め、甘味噌をつけるというもので、大阪で誕生。屋台でも提供されていた今で言うファストフードだったそうです。
ただし、江戸ではしょうゆの質が上がったことと早く提供するために、次第に醤油とだしでこんにゃくなどの具材を煮込むようになったといわれています。
ただし、今のように汁たっぷりのものではなく、具もなすやさといもなど今のおでんには入らないものが多いです。
この時代のおでんは煮たものと焼いたものの2種類があり、関西ではこれを区別するために煮たおでんを関東炊きというようになりました。
明治・大正時代
明治時代に魚の練り物が誕生し、おでんは汁がたっぷりの鍋物のような料理へと変化しました。
大正時代には江戸の職人によって、江戸風のおでんが関西に伝えられ、関西の人たちが好むような味にアレンジされました。
東京大震災では職人たちの行き来があり、関西の味(関東炊き)が東京に伝わります。
昭和時代初期
昭和14年発行の大日本帝国陸軍調理教本で現代のおでんに近いレシピが紹介されていますが、名称は関東煮というもの。
がんもどき、こんにゃく、大根、ちくわぶをかつお節、醤油、砂糖で調理すると紹介され、田楽とは区別しています。
昭和時代中期以降
1943年の平凡社大百科事典ではおでんを「こんにゃくの田楽及び煮込みのこんにゃく類の名」と説明しているので、当時はこんにゃくがたくさん入っていたようです。
ただ、おでんがこの頃までに煮込み料理の名前として定着していることはわかります。
煮るだけで食べられる手軽さから、日本全国に広がり、おでんを提供する駄菓子屋さんも登場。
具のバリエーションも増え、地域によって様々なアレンジが加えられるようになり、家庭料理として普及していきました。
まとめ
古い歴史を持つおでんは現在では多くのバリエーションがありますが、まとめると以下の歴史になります。
・室町時代に誕生した豆腐の味噌田楽が原型
・宮中の女房詞が庶民に広まり、おでんとなった
・現在のおでんが誕生したのは明治以降
となります。
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